アユタヤ中期

11代目から16代目まで、同じくスバンブリー王家が続きました。前回に引き続きまして、アユタヤ時代のお話をしていきましょう。18代目ナレースワン大王の時には日本の朱印船がアユタヤに来航しました。21代目ソンタムの時は、以前ご紹介しました日本町が急速に発達したと言われています。その後、17代目から23代目までは、スコータイ王家が続きました。

今回は中期についてのお話です。22代目チェターティラートは、日本人の軍の援助を得て弟を処刑して即位したと言われていますが、最期は自らも処刑されました。日本だけではなく、時代によってこのように実の兄弟や家族を自分の手によって殺すということが起きることが当たり前であることは今の時代の私たちにとっては考えられないことです。この建物は、地元の人はワット・ヤイと短く呼んでいるそうです。この王は、使節団を三回に渡って日本へ派遣しました。

9代目スバンブリー王家ボーロマラーチャティラート3世から始まります。この王は1488年インド洋に貿易拠点を確保しました。15代目チャクラパットはチェディー・シースリヨータイという、王妃の遺骨を祀る仏塔を建て、16代目マヒントラーティラートはワット・プーカーオトーンというアユタヤでは第2の高さを誇る仏塔を建てました。ワット・プラシーサンペットとワット・ナー・プラメーンを建立したことでも知られています。

10代目は、同じくスバンブリー王家のラーマーティボディ2世です。ですが、その時代にはその時代の当たり前の考え方というものがありますので、今の私たちの暮らしや考え方が当時の人々には同じように考えられないことかもしれません。また、この王はワット・ヤイチャイモンコンというアユタヤでは一番の高さを誇る仏塔を建てました。次回は、アユタヤ時代後期についてお話しましょう。